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弁護士コラム「ナズナ想」

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「コウノトリのゆりかご」設置から10年

熊本市にある慈恵病院に「コウノトリのゆりかご」が設置されて10年が経つそうです。
10年前には,熊本県弁護士会で毎年5月に行っている子どもの人権フォーラムでもこの「コウノトリのゆりかご」を取り上げ,多くの方,マスコミの方も含めて,きていただきました。
当時子どもの人権委員会副委員長であった私も,地元の熊本日日新聞の取材を受け,その紙面の大きさは,当時の熊本県弁護士会会長のものよりも大きかったと笑い話のネタになったものでした。
あれから10年経ったんですね。
私は,全国津々浦々に「コウノトリのゆりかご」のような施設ができるべきだと,このナズナ想でも発言していました(コウノトリのゆりかごの3年目)。
その考えは現在も変わっていません。
無責任な妊娠,出産,そして捨て子を助長するという批判があります。
その匿名性から,子どもの権利条約上の親を知る権利を侵害するという批判もあります。
もっともな批判だと思います。
他方で,子どもの権利条約では,子どもに生きる権利を認めています。
新生児を殺害する嬰児殺,児童虐待そして虐待死のリスクは,現在でもあります。
実の親に殺されるくらいなら,かわいがってもらえる人の育ててもらった方が,子どもが幸せを感じることができるかもしれません。
神戸で,「コウノトリのゆりかご」のような施設を設置しようとしていた団体が,その設置を断念したという報道がありました。
残念に思います。
 

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メディアの意識

日本テレビ系(熊本では熊本県民テレビ)で放送されている「明日,ママがいない」,明日第2回目が放送されますが,抗議の声も上がっています。
熊本市の慈恵病院は番組の打ち切りを求めていますし,養護施設の団体,里親の団体も抗議の意志を表明しています。
これを受けて,この番組を放送打ち切りに追い込む勢いの報道もあります。
親のない子どもたちのために,懸命の活動をされている慈恵病院,養護施設,里親の方々が,この番組をご覧になって腹立たしく思われることも無理からぬことかもしれません。
しかし,一部のメディアが番組の打ち切り必至の報道をすることには違和感を感じます。
話は変わりますが,私の妻は闘病の末に亡くなりました。
ですので,そのようなシーンが出てくる番組は,私はつらくて見ることができません。
私と同じように家族を闘病生活の末に亡くされた方で,私と同じように感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「だから闘病で苦しんでいる姿が出てくる番組を作るな」ということではありません。
私にとっては,見なければすむことです。
「私はあなたの意見には反対だ,だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。 」という言葉があります。
これは,フランスの哲学者ヴォルテールの言葉で,民主主義・自由主義とりわけ表現の自由・言論の自由を端的に表した名文句として知られています。
件のメディアには,ヴォルテールの言葉を学習していただきたいものです。
ちなみに,日本テレビが最後まで見ていただきたいというコメントを出していますが,ドラマなどの物語は最終回までの全編を通して主張が完結する作りをしていますので,きちんと主張を吟味するためには最後までみる必要があるという当たり前のことを言っているように思えます。

殺されるより捨てられた方が

今日も幼い子どもが家庭内で死亡した記事が載っていました。
1歳6ヶ月の女児が実母から床にたたきつけられての傷害致死事件だそうです。
報道によると,顔などに,複数の痣があり,虐待の可能性があるそうです。
今年に入って,乳幼児が虐待により命を落としたニュースが流れない月はありません。
子どもは,親から虐待を受けると,自分が悪いから親からこんな仕打ちを受けているのだ,叱られているのだと思うそうです。
また,あまりにもひどい虐待を受け続けると,その虐待を受けているのは自分ではないと思い始めるそうです。
そして多重人格ができるそうです。
子どもは親から愛されていると思いたいそうです。
だから,子どもは虐待されても虐待されているとは思わないそうです。
親からの虐待により死亡した子どもたちは,その薄れ行く意識に中で何を考えていたのでしょうか。
きっと,その虐待している親に甘えたい,抱きしめてもらいたいと考えていたのだと思います。
ところで,今年5月11日で慈恵病院のこうのとりのゆりかごが運用開始から4年目に入りました。
慈恵病院の蓮田太二理事長が,記者会見で,こうのとりのゆりかごに子どもを預けることは育児放棄という虐待に当たるという見解を明らかにしました。
これは,こうのとりのゆりかごの運用開始の年に熊本県弁護士会が開催した「全国子どもの人権イベント・春のフォーラム」(熊本県弁護士会子どもの人権委員会企画・運営)でも指摘されていたことです。
それでも,私は,全国津々浦々に「こうのとりのゆりかご」ができるべきだと考えています。
子どもをこうのとりのゆりかごに預けることは育児放棄という虐待に当たります。
しかし,無理をして親の手元で育てられて虐待死するよりは,こうのとりのゆりかごに預けてもらった方がよいと思います。


こうのとりのゆりかごの検証報告

熊本市が「こうのとりのゆりかご」の2年目の運用実態を公表しました。
今年は,去年まで公表されていなかった,母親の年齢・預けにきた人についても公表されていました。
子供の福祉を考えると,多くを公表する必要はないかもしれません。
他方,社会の関心や,設置者の思惑(私が推測する限りのものです。)を考えると,多くを甲驫するべきとも思います。
ところで,「こうのとりのゆりかご」は,匿名で,子供を箱の中に入れることができる仕組みになっているのですが,公表されたものをみると,父母の居住地や母親の年齢が,25人中22人まで判明していたり,預けに来た人(子供との関係)が,25人中23人まで判明していることは,父母からの事後の背色があったのが25人中11人に過ぎないことや,着衣以外にものを置いていった人が25人中18人(うち手紙が11人)であることを考えると,興味深い数字だと思います。
1年目に比べると,預けられた子供の数は,17人から25人に増えてはいますが,これは認知度が上がったためのように思われます。
それ以上に私が着目したいのは,1年目に6人しか手紙をおいていなかったのが,11人に増えていることです。
子供が成長したときに,そのようなメッセージは,きっとその子の成長にプラスになると思います。
また,愛情を感じる手だてになると思います。
「こうのとりのゆりかご」に子供を預ける人の事情は様々でしょう。
でも,成長した子供が,親の愛情を感じることができるものは残してほしいと思います。
「こうのとりのゆりかご」が使われない方がよいと思います。
しかし,捨て子となったり,虐待により失われる命が現実にあります。
そのような命を救うためにも「こうのとりのゆりかご」は必要だと思います。
もちろん,「こうのとりのゆりかご」は,日本に根付くためには,今後も,検証し,改良していくべき点があると思います。

こうのとりのゆりかごの3年目

熊本の慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」が設置されて2年が経過し,3年目に入りました。
2年目に入る去年の同時期は,マスコミも「こうのとりのゆりかご」をニュースで取り上げていましたが,3年目に入る今年は,他にも大きなニュースがあったようで,気がつくと3年目に入っていたという状況です。
私は,「こうのとりのゆりかご」が設置されたとき,熊本県弁護士会子供の人権委員会の副委員長をしていました。そして,その年の日弁連の子供の権利全国イベントでもある熊本県弁護士会主催(子供の人権委員会の企画・運営)の春のフォーラムで,この「こうのとりのゆりかご」をテーマに取り上げ,副委員長として春のフォーラムの事務局長的役割を果たしました。
当時の総理大臣は,子は親が育てるべきものであり,赤ちゃんポストのような捨て子を助長する施設を作るべきではないと発言していました。
私も,基本的には,子は親が育てられた方が幸せに育つと信じています。
他方,世の中には,不幸にも親から捨てられる子が現実にいます。
寒い冬空の下に捨てられるよりは,命の危険にさらされるよりは,病院の管理が届くところに捨てられた方がましではないかと思います。
生まれたばかりの嬰児を殺害する事件もあります。
生きていれば,きっと楽しいことや,嬉しいこともあるでしょう。
その意味では,「こうのとりのゆりかご」は必要だと思います。
他方で,こともの人権を擁護する活動をしている人々から,「こうのとりのゆりかご」に対して,批判的な意見があることも事実です。
子供の権利条約には,「すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める」(6条1項)と定めています。
すべての子供は生きる権利を持っています。
大人の都合で,生まれてきた子供の命を奪ったり,危険にさらすことは許されません。
この点では,「こうのとりのゆりかご」は必要ですし,全国的に広まるべきだと思います。
他方,子供の権利条約は,「できる限りその父母を知り,かつその父母によって養育される権利を有する」(7条1項後段)と定めています。
匿名性を重視する,すなわち,誰が親かは詮索しないという立場をとる「こうのとりのゆりかご」は,この子が親を知る権利を侵害していると解釈することができます。
私は,ここで,生きる権利と親を知る権利を二者択一的に考えることは誤っていると思います。
もし,この2つの権利を二者択一的に理解することが正しいとすれば,日本国憲法の人権宣言が無意味になる危険性があります。
国民の生存権が保障されていれば,表現の自由などが保障されなくてもよい。
多くの方は,この理屈が正しいと言われれば違和感を感じるでしょう。
子供の権利も同様だと思います。
安全なところに捨てられて命が助かったんだから,親を知る権利が保障されなくても構わないという理屈は乱暴だと思います。
子は成長する過程で自分探しをします。
その中で,モデルを見つけたり,自立しようとして親に反発したりします。
親のない子は,このような過程で,自らの親を知りたいという強い欲求に駆られます。
そのとき,親のない子に生きられたのだから親を知る必要はない言っても納得してもらえないでしょう。
生きる権利と親を知る権利は二者択一にはなり得ないのです。

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