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こうのとりのゆりかご

こうのとりのゆりかごの3年目

熊本の慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」が設置されて2年が経過し、3年目に入りました。
2年目に入る去年の同時期は、マスコミも「こうのとりのゆりかご」をニュースで取り上げていましたが、3年目に入る今年は、他にも大きなニュースがあったようで、気がつくと3年目に入っていたという状況です。
私は、「こうのとりのゆりかご」が設置されたとき、熊本県弁護士会子供の人権委員会の副委員長をしていました。そして、その年の日弁連の子供の権利全国イベントでもある熊本県弁護士会主催(子供の人権委員会の企画・運営)の春のフォーラムで、この「こうのとりのゆりかご」をテーマに取り上げ、副委員長として春のフォーラムの事務局長的役割を果たしました。
当時の総理大臣は、子は親が育てるべきものであり、赤ちゃんポストのような捨て子を助長する施設を作るべきではないと発言していました。
私も、基本的には、子は親が育てられた方が幸せに育つと信じています。
他方、世の中には、不幸にも親から捨てられる子が現実にいます。
寒い冬空の下に捨てられるよりは、命の危険にさらされるよりは、病院の管理が届くところに捨てられた方がましではないかと思います。
生まれたばかりの嬰児を殺害する事件もあります。
生きていれば、きっと楽しいことや、嬉しいこともあるでしょう。
その意味では、「こうのとりのゆりかご」は必要だと思います。
他方で、こともの人権を擁護する活動をしている人々から、「こうのとりのゆりかご」に対して、批判的な意見があることも事実です。
子供の権利条約には、「すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める」(6条1項)と定めています。
すべての子供は生きる権利を持っています。
大人の都合で、生まれてきた子供の命を奪ったり、危険にさらすことは許されません。
この点では、「こうのとりのゆりかご」は必要ですし、全国的に広まるべきだと思います。
他方、子供の権利条約は、「できる限りその父母を知り、かつその父母によって養育される権利を有する」(7条1項後段)と定めています。
匿名性を重視する、すなわち、誰が親かは詮索しないという立場をとる「こうのとりのゆりかご」は、この子が親を知る権利を侵害していると解釈することができます。
私は、ここで、生きる権利と親を知る権利を二者択一的に考えることは誤っていると思います。
もし、この2つの権利を二者択一的に理解することが正しいとすれば、日本国憲法の人権宣言が無意味になる危険性があります。
国民の生存権が保障されていれば、表現の自由などが保障されなくてもよい。
多くの方は、この理屈が正しいと言われれば違和感を感じるでしょう。
子供の権利も同様だと思います。
安全なところに捨てられて命が助かったんだから、親を知る権利が保障されなくても構わないという理屈は乱暴だと思います。
子は成長する過程で自分探しをします。
その中で、モデルを見つけたり、自立しようとして親に反発したりします。
親のない子は、このような過程で、自らの親を知りたいという強い欲求に駆られます。
そのとき、親のない子に生きられたのだから親を知る必要はない言っても納得してもらえないでしょう。
生きる権利と親を知る権利は二者択一にはなり得ないのです。
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