熊本の弁護士|交通事故,離婚の山崎法律事務所

雑談

東日本大震災から3年

東日本大震災から3年が経過しました。
震災が起こった午後2時46分、熊本市でも防災センターのサイレンが鳴りました。
東日本大震災が起こったとき、私は東京にいました。
日弁連が入っている17階建ての弁護士会館の17階で会議が行われていた国選弁護本部の会議に出ていました。
揺れが収まると、日比谷公園に多くの人が出ていました。
山手線では列車が止まっていました。
携帯電話もすぐにつながらなくなったようで、私の事務員が私の携帯電話に何度が電話をかけたけどつながりませんでした。
福岡の弁護士と羽田空港に行こうと、外に出ました。
当然にタクシーは捕まりません。
私たちは歩いて、羽田空港行きのモノレール駅がある浜松町駅に向かいました。
しかし、モノレールは動いていなく、羽田空港は閉鎖されていました。
浜松町駅の周りではどのホテルも満室で、弁護士会館に戻りました。
弁護士会館は地下1階の入口から入って、エレベータが止まっていて階段を17階まで、死ぬ思いで上がっていきました。
無料になっていた公衆電話で自宅と連絡を取り、その夜は、日弁連に備え置いていた毛布を借りて、国選弁護本部の会議が行われていた会議室の床で寝ました。
それでも、翌日の昼ころには阿蘇くまもと空港に帰り着くことができました。
このようにスムーズに熊本に帰ることができたのは、情報を効率的に集めることができたことが大きいと思います。
インターネット上には多くの情報がありますが、そこでの情報は噂話と実質的には同じです。
匿名の方が発信される情報やなりすましの方が発信される情報もあり、全くのガセネタやデマも流れています。
東日本大震災のような非常時には、インターネット上の情報を当てにすることはとても危険だと思います。
私は、テレビ報道と航空会社の情報から、翌日、飛行機が飛ぶと思うことができました。
仮に翌日も飛行機が飛ばなくても、予約をしていて不利益はありません。
しかし、予約をしていなければ、翌日に飛行機が飛んだときに帰ることができません。
翌日は綺麗な青空でした。
私が羽田空港に向かうころはまだ山手線など在来線は走っていませんでしたが、新幹線は走り抜けていきました。
 
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