熊本の弁護士|交通事故,離婚の山崎法律事務所

雑談

尊厳死

米国で、尊厳死を実現するために、自ら命を絶った女性がいます。
私の理解では、末期癌患者の方などで、死を間近にして、極度の病苦に苦しむ人の苦痛を和らげて死に至らしめる後遺を安楽死というのですが、生命維持装置で生かされている状態の人から、その生命維持装置を取り外す行為、これも安楽死という概念に含まれるのですが、機械による生存を否定して人としての尊厳を保ってしむという意味で尊厳死と呼ぶことがあるというものです。
この意味では、米国の事例は、尊厳死というよりも安楽死に近いのではないかと思います。
大学院時代、法哲学のゼミで、死ぬ権利が憲法上保障されているかを考えたことがあります。
権利には、積極的な側面と消極的な側面があります。
例えば、表現の自由として、意見を発表する自由がありますが、意見を発表しない自由もあります。
同じように、聞く自由も、聞かない自由もあります。
すると、生存権、生きる権利にも、生きることを拒否する権利もあるのではないか。
みなさまはどうお考えですか。
教授は、憲法は積極的に生きようとする人を前提に考えているのではないかとの説でした。
死ぬということは多くの人に迷惑をかけるとの説の方もいらっしゃいました。
私は、臓器提供カードで、臓器提供の意思を表示していました。
私が死んだ後でも、私の心臓や角膜が誰かの体の一部として生き続けるなんてすてきなことです。
でも、今は臓器提供カードに意思表示をそのようにはしていません。
私が脳死状態になったとき、娘はどのように考えるでしょうか。
私と同じように考えるでしょうか。
それとも、最後の1秒まで奇跡を信じるのでしょうか。
そのときの娘の決断に委ねたいと思います。
人の死というのは、その死んでいく人だけの問題ではないように、思い始めています。
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