熊本の弁護士|交通事故,離婚の山崎法律事務所

雑談

死ぬ権利

日本国憲法第3章には基本的人権と呼ばれる権利・自由が定められています。
例えば、20条には信仰の自由が、21条には表現の自由が、26条には教育を受ける権利が定められています。
これらの権利・自由は、20条でいえば、信仰をすることについて公権力に妨害されない、信仰を告白することについて公権力に妨害されない、21条であれば、自らの考えを表明することについて公権力に妨害されない、他者の表現行為を聞くことについて公権力に妨害されない、26条であれば、公権力に対して教育を受ける機会を保証するように求めることができるなどの内容になります。これらは、いずれも、権利・自由の積極的側面になります。
そして、権利・自由には消極的側面があります。
20条であれば、公権力により信仰を強制されない、公権力により信仰の告白を強制されない、21条であれば、自らの意思の表現を強制されない自由、聞かない自由、26条であれば教育を受けることを拒否することなどです。
このように、権利・自由には「~しない権利」、「~しない自由」という消極的側面があります。
 
ところで、25条には生存権が定められています。
生きる権利があるのであれば、生きることを放棄する権利を考えることができるのではないでしょうか。
これが、死ぬ権利です。
仮に死ぬ権利が認められるのであれば、自殺を止める行為は、権利行使を妨害するのですから、違法行為との評価を受ける危険性があります。
また、死ぬ権利があるのであれば、自殺は適法行為ですので、自殺の結果生じた損害を賠償する必要がないとなる可能性もあります。
すなわち、損害賠償というのは、違法な行為により他者に与えた損害を賠償するのですから、適法な行為であれば、これにより他者に損害を与えても賠償する必要はないはずとの理屈も成り立ちそうです。
現実には、鉄道に飛び込んで自殺をすれば、それにより鉄道会社に生じた損害を賠償しなければなりません。
このような場合に損害賠償請求を認める裁判例は多くあります。
 
私は、刑法と法哲学のゼミにそれぞれ5年間在籍していました。
大学の学部4年生から大学院の四回生までの期間です。
その中で、学費を払えなかったので半年間、大学院を休学しましたが、法哲学ゼミには休学していた間も出席していました。
それで、大学院の法哲学ゼミで、死ぬ権利というものがあるのかという問題提起をしてみました。
その中で、教授は、基本的人権というのは、生きていこうという人を想定しているのではないだろうかという話をされました。
すなわち、基本的人権として、死ぬ権利を概念する前提がないということです。
 
皆さんはどのように考えられますか。
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